加藤清正の歴史

加藤清正公・忠広公について加藤清正公・忠広公の年譜
加藤家家系図加藤清正のあれこれ

加藤清正を祀る社寺数(法人格を持つ社寺)

清正公の遺言(いげん)

「後の世のため」「上一人の心 下万民に通ず」「戦は人を殺すことにあらず 敵に勝つことにあり」「国づくりは人づくり 人づくりは国づくり」「人は一代 名は末代 あっぱれ武士の心かな」「うちの城の若者は皆優秀なはず・・・」

清正公の座右の銘

「恩を受けしことは軽重を量らず、胆に銘じて忘る可からず。君に忠を存し、父母に考を尽くすこと。これを始めとす・・・。」

「敬 主一無適」・・・「千乗の国を治めるには、ことを敬して信あり」と
論語にある言葉を朱子が注釈を加えた言葉が「主一無適」。
「主一無適」とは、「一心で他念を交えない。一を主として他に背かぬこと」の意。
清正公が生涯一貫して「初心生涯」とされた座右の銘。

他の人の清正公評


松下幸之助氏(松下産業の創業者。生前加藤神社に婦人と参拝された折に残された言葉)
「熊本城の石垣を見るに、清正公の人事管理が、いかに素晴らしかったかを私は教えられた。」

河野省三博士『神祇史提要』
「加藤清正は朝鮮陣中における度々の戦捷を、ひたすら神慮・神威に帰した」

加藤玄智博士『知性と宗教』
「加藤清正公こそ、戦国時代における博愛主義者である。」

新井白石『藩翰譜』
「前後七か年の間、本朝の令、所々の戦功、みなとりどりしかで、清正一人、大明、
朝鮮のために名を呼ばれ、あるいは詩にてうたひ、あるいは神となしてまつらる。
弓矢とっても誉れ古今にならぶ者ぞなき。」

安部龍太郎氏(作家。西日本新聞『下天を謀る』に連載)
「取材を進めるにつれて、藤堂高虎と清正公には多くの共通性があることが
わかって参りました。戦国の世を平和の時代へと導いていた二人の姿を、
どこまで描ききれるか分かりませんが、最善を尽くしたいと考えております。」
(取材後の加藤神社宮司への手紙より)

朝鮮の大官令曹司が秀吉に送った文中の言葉での清正公評
「君主中の君主」

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